<現代国語の問題とコンセンサス>
最近、センター試験の現代国語のような設問を解く機会があった。
古文や漢文のようなロジカルな規則性で判断出来る問題と異なり、現代国語の問題は、
苦手な人はぜんぜん出来ないし、対策しても点数が上がりにくい、とよくいわれる。

僕は幸いにして、一切の勉強をせずとも現代国語は超得意だった。
僕の実家に本が大量にあって、あまりに大量過ぎて家の二階の底が抜けそうになり、
やむなく地元の小学校に本を何回か寄贈したり、ゲームとコミック禁止の教育方針で、
他に刺激もないので本ばっかり読んでいたが、あまりに読みすぎていたので、
目が悪くなるからという理由で本を禁止されたり、それにも関わらず布団の中で、
懐中電灯でこっそり読むような幼少時の読書生活が、背景にあるのかもしれない。

今回、現国の問題を解いて、答え合わせをした時に、間違っている問題が数問あり、
うち一問は単純な早とちりだったが、他の二問は、解説を読んでもすっきりこない。
そういう解釈もあるかもしれないが、納得出来ない、という感じだった。

おそらくこういう設問は、正答率が一割などの悪問なのだろう。
そして、こういう設問の場合、そもそも設問者の解釈が少数意見の場合がある。

このような設問が試験にできてしまう背景としては、Re-check不足があるのだろう。
国語科の教員が10名で解いて、その正解を導けるのは3名だけ、残り4名は
別の選択肢を選んだ場合など、そもそもその解釈はコンセンサスなのか疑わしい。
それでも少数説にも一理ある以上、その解釈を導くプロセスを完全に否定もできない。

とにもかくにも、このような悪問が潜んでいる故、いくら勉強をしても満点を取りにくいのが、
現国のような「最も相応しい選択肢を選べ」系の教科の特質であろう。

<市場とコンセンサス>
さて、市場においても、「OO銘柄の常識」とか、「XX業界の常識」などとして、
コンセンサスとして信じられているものが無数にある。

例えば・・・
 「タイヤメーカーの収益は、天然or合成ゴムの価格に連動する」
 「大手二大商社の株価は、コモディティ価格に連動する」
 「海運の株価はバルチック指数に連動する」
 「ゲーム株はE3前に売るのが良い」
などである。

実際に現場の販売価格算定式(Formula)から導かれ論理的に正しいもの、
過去に出た説得力のあるレポートで提唱され定説として市場に根付いたもの、
先人たちにより経験則的にもっともらしく語られているもの、
恣意的あるいは不十分な長さの期間でバックテストした定量的な結果として導き出されたもの、
など、玉石混淆である。

各社より新レポートが出たときに、その説得力を斟酌して、これを読んだ市場参加者が
どの程度、論旨に説得させられて、コンセンサスが動く可能性があるか、
不確実性が多く、インサイダー以外結局のところ真実をしらない状況においては、
その読み解きは、あたかも現代国語の問題を解く作業に似ている。

また、その作業をする上で、コンセンサスを左右する権威者は意識せざるを得ない。
具体的には、何かニュースが出たときに、業界に詳しいとされているトップアナリストや
有識者の判断が自分と同じ方向か、あるいは違う反応を示している場合にはどうしてなのか、
それは説得力を持ちコンセンサスになりそうかは気にかかる。

収益モデル(Earning model)の作成も同様で、自分の数字とコンセンサスの数字と乖離している場合は、
意図的に違う前提を置いたのか、それとも自分だけが特オチ(自分だけが見落としているオマヌケ)
しているのかを把握し、その根拠について、合理的に疑いを挟む余地の無い程度に立証する必要がある。

逆に言えば、コンセンサスの数字を知らないと、決算の数字が出てきても、
それが果たして株価に取ってポジティブなのか、ネガティブなのか、判断できないといえる。
またコンセンサス自体も、日々ニュースを織り込みあたかも生き物のように変化して行く。

一方で、これだけ多数の参加者が目を張り巡らせている市場において、
自分なりの調査によって、自分だけしか知らない事実を導きだすのは困難を極める。
そこで、新事実・新材料が出た時に、業界に精通しているプロとして人よりも早く分析・判断する、
という時間的な速さの優位性により、レポートが出るよりも早く、他人よりも早く材料を消化しトレードする、
ということは一定の付加価値の源泉となるだろう。

換言すれば、合理的な市場において、株価がニュースを織り込んだ理論価格に達するまでのスピード勝負、である。
ただし速さ重視の、Nothing but speed のアプローチで挑むと、気が抜けずかなり疲れる・・・。

また、あくまでコンセンサスを予想して戦うゲームなので、どこかしら理論的にはすっきりと説明がつかないことも。
コンセンサスは往々にして間違えることがあるが、なぜ間違えているのか、その間違いは近く訂正されていくのか、
間違ったままコンセンサスが進んでいくのか。理論で割り切れない「あいまいさ」は、現国に通じるものがある。

さらにはコンセンサスは間違っていなくても、資金力のある機関投資家が一人で大きく間違えると、
需給関係を通じて、実際の株価に多大な影響を与えてしまうこともある。
実際に現在付いている株価こそが、需給を反映した、究極のコンセンサスとされる所以である。

(夜も更けてきたので、特に結論まで書くに至らず、この辺で筆を置いて小休止。)

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