僕は、小学六年生の二学期に東南アジアへ渡ったので、履歴書上は「市立OX小学校中退」という武者っぷりである。

ということで、卒業アルバムにすら載っていない。
そして帰国後は、そのまま都内の中学→高校→大学→入社と都内中心の人生が続いたので、地元では「東南アジアへ行って戻ってこなかった奴」扱いになり、そして時を経ると共にいつしか都市伝説の人となってしまった。

こうして、僕には地元の友達など存在しない、アキバの友達なら存在する学生時代が約10年間続いた。アキバを中心としたアキバの為の人生、ラジオライフゲーラボを愛読し、中学では物理部、大学ではサーバ管理団体やIT委員会に入り、日々、技術力の向上に切磋琢磨する日々が続いた。

そんな僕を、小学校に結びつけるイベントが起きたのが、入社一年目の2005年の秋のある日のことだった。
ニューヨーク研修を終えて、部門内の各部署で研修を受ける中、とある業務部長の「粋な計らい」という奴で、某財閥系信託銀行に研修生として送り込まれた。

そこで偶然再開したのが、小学校の時の同級生のAだった。
<その時、歴史が動いた。僕の失われた小学校人脈が再生された>

僕はAのことを全く覚えていなかったが、Aいわく、どうも僕の風貌や髪型は、小学校の頃から変わってないので認知できたとのことだ。そして、Aの働きにより、小学校の同級生にalumniの一員として認識された。

そして、まさに明日、小学校の同窓会によばれた。小学校同窓会への初デビューである。

そんな14年ぶりの同窓会を控える僕は、金曜日の会社から帰宅後、明日の予習をすることにした。
つまり小学校の時の文集や名簿などの記録を洗って、参加者のプロファイリングをしておこうという訳である。

そこで見つけたのが、下記の貴重な文献である。
僕の小学校時代の成長過程を記す資料として、芥川龍之介の手紙なみに学者に研究されてもおかしくない逸品だ。

★小学2年で商社マンを志す
僕は、小学2~3年は、父の仕事を非常に尊敬していて、商社マンになりたいと思っていた。ついでに早くもサラリーマンを希望していたようだ。可愛かった。

小学校2年4組の卒業文集より

小学校3年4組の卒業文集より
しかしこの無垢な想いも、商社各社が導入した「親子での入社禁止ルール」により打ち砕かれる。息子が入るなら親は辞めなければならない規則が導入されたのだ。

★小学4年で金持ちを志す
小4付近から軸がはっきりしてくる。
心底から商社マンとして働く偉大な父の教育を受け、金銭のダークサイドに一歩踏み込む。当時はなんの疑問も感じなかったが、いま考えれば物質的豊かさ or「金銭を追求する」という基本原則は、この頃にすでに刷り込みがなされていたようだ。可愛くない。
小学校4年4組の卒業文集より

人命救助という崇高な使命に共感してではなく、高収入に惹かれてなりたかった。そんな子が医者になってはいけない。他の学友は「スポーツ選手」など夢のある中、僕だけ手段と目的が現実的で、親はこれを見て、とても恥ずかしかった、とのこと。
また単式簿記の基礎もこの頃に徹底的に叩き込まれた。お小遣い帳や自分の銀行通帳を見るのが好きな子供だった。
兄弟のお小遣いも「500円あずけてくれたら100兆倍にしてやんよ!」などと高利子を謳い巻き上げていた。

参考:第一生命調べ「子供の夢と大人の夢」によれば、子供の人気第一位は「野球選手」。オジさんの夢第一位は「医者」。僕はオジさんの夢を投射された被害者だったのでしょうか。

(続く)

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