息子の澤上龍氏が、今月のGQに載ってます。

ちなみに、ドラゴンはかなりのダメ息子ともっぱらのうわさ。。。

教祖の澤上篤人氏は、
「顧客には、子や孫の世代にもファンドの資産を引き継いでもらいたい」
とおっしゃる一方で、ちゃっかり息子のドラゴンに運用も引継ぎ。

ファンド創設時の後継者だった、岡大ファンマネはいつのまにか追放して、
高卒後フリーターをしていた息子に運用を任せるとは、一子相伝なのか?

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2007年5月11日(金)日経新聞夕刊

サーフィンに明け暮れるフリーター、沢上龍が父親の投資信託の事業を手伝い始めたのは、人手が足りないといわれて「何となく」だった。
 最初は切手をはるぐらいしか仕事がなかったが、そこで一工夫した。近くの郵便局員と交渉、毎月二百万―三百万円分の記念切手を確保した。「きれいな切手で手紙が届くとうれしくないですか」
 学びたいことがないから大学には行かず、金融知識もゼロの自由人。しかし人の気持ちをくむ才能はあった。
 父の篤人が営むさわかみ投信は長期投資で約二千五百億円の個人投資家の資産を預かる。運用を切り盛りしているのが長男の龍であることはあまり知られていない。
 「人生をかけられる仕事って何だろう?」。高校を出てから二十四歳で父の会社に入るまで自分探しをしていた。それを黙認した父親が「何もしないでぼーっとしているわけではなかった」と振り返るように、あれほど精力的なフリーターも珍しかった。
 家では父親の書斎に並んだ歴史本を読みあさった。夜、酒場のアルバイトに出ると人間観察。急に怒り出す客、泣き続ける客。昼間は出ない人間の素顔がそこにあった。それをなだめたり、すかしたり。客あしらいは抜群だった。
 投資も人の思惑の読み合いだ。会社に入り、経済や企業財務を勉強してみると、夜の世界の体験に通じる部分が多く「想像以上に面白かった」。人生をかけられる仕事、それは案外近くにあった。
 足りない知識を埋めるため、寝る間を惜しんで本を読んだ。入社四年後にファンドマネジャーへ昇格。運用成績でもトップになり、現場の最終意思決定者になった。
 運用規模は「メガファンド」と呼ばれる大手とは比べられないが、一九九九年の立ち上げ以来、減ったことがない。業界ではまれという。
 自由人の性分がまだ抜けず、実はこれから激務の合間に渡米し、金融機関などの見習いとして働く。顧客の大半は百万円、二百万円という金額を預ける個人投資家だ。その期待を裏切らないための武者修行に“フリーター”はうってつけなのだ。(敬称略)
【図・写真】夜の世界の人間観察が金融業務に生きる
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